ご挨拶
初めまして、ジョジョニといいます。
「ありのままに生きるって、なんだろう」
「人生の目的が幸せになることなら、喜びの本質ってなんだろう」
「もしかしたら、喜びの本質は、生活の中にこそあるんじゃないだろうか」
「もっと、生活に目を向けたい」
「もっと、いのちを大切にしたい」
そんな思いで当ブログを立ち上げました。
食べることを中心に、読書や映画鑑賞や、絵を描くことの楽しみ、その他日常の様々を丁寧に見つめ、生き、綴っていきたいと思っています。
みなさま、どうぞよろしくお願いします。
転職を繰り返すことで知った、自分の本質
実は私は、アルバイトも含めてこれまで4回仕事を辞めています。
現在無職。また記録更新するかもしれません(笑)
私が高校生の時、学校の先生はよく「3年は働きなさい。じゃないとその仕事のことはわからない」といいました。
要するに、それまでは辞めるべきじゃない、と。
当時の私は、どちらかというと真面目タイプの生徒でしたし、思春期からくる自意識で多少うがった考えを持ちつつも「そのくらいできる」と思っていました。
つまり、同じ職場に長く務めるという常識を何の疑いもなく信じたんです。
しかし、いざ働いてみるとちっとも「そのくらいのこと」じゃなかったんですね。
専門学校を出て、それまでのアルバイトを辞めて、派遣社員として工場へ勤務。
初めての一日八時間労働、週5出勤。
残業のない会社でしたが、すでに1か月が途方もなく長く感じました。
まず、最初の異変は人への恐怖心です。
とくに何をされたというわけではありません。
もともと私は人見知りが激しい性格で、人前で緊張しやすいのです。
その仕事場の人たちは、とにかくおしゃべりが好きな方が多く、新人の私を気遣ってかよく話しかけてくれました。
気遣いであることは、その時も感じていましたが、私は次第に口をきかなくなっていきました。というか、無視してしまったこともあります。
そのときの私は、人の気配にものすごく敏感になっていました。
誰かの気配を感じただけで、ものすごい不安に駆られたのです。
話しかけられたのに、無視してしまったのは、発狂しそうなくらい精神的に追い詰められていた時でした。
自分でもどうしてそうなってしまうのかわからない。
いくら人見知りだからって、ここまで追いつめられるのは初めてでした。
そうこうしていくうちに、今度は眠れなくなることが多くなり、食べることが苦痛になっていきました。
私は専門学校時代にうつになったことがあるので、またうつがぶり返したのかと思いました。でも、その時の感じとも違う。
すると今度は、息がしづらくなることが増え、窒息するんじゃないかと思うほど苦しくなることが増えました。
そして、ある日、四方を壁が迫ってくるような感覚と、工場の音が通常の何倍も耳に響く感じ、大勢の人に見られているような恐怖がピークとなって、さーっと血の気が引き、倒れました。
すぐに病院に運ばれましたが、結果は異状なし。「貧血でしょう」としかいわれない。
でも、なんとなくこれはただの貧血じゃないことは感じ取っていました。
それから少しして私は、その工場を辞めました。
その後の職場でも、うまくいきませんでした。
あの奇妙な発作が出ることは、ありませんでしたが、どこにいても心身はぼろぼろになるばかりでした。
仕事を辞めた瞬間は、力がみなぎるようでした。
いのちそのものが喜んでいるという感じで、一日を、これからを、自分のものにできるということが、この上なく幸せに感じました。
「私は、お金のためだけに生きていけない」
そう認めた瞬間、やっと「自分と向き合った」という気がしました。
本来の自分を見つめるとは、自分の性質を許すこと
働いていた職場で、ずっと人の悪口ばかり言う人がいました。
ベテランの先輩で、きつい発言をすればするほど周りが笑うので、悪口は拍車が掛かる一方でした。
その先輩が、また誰かの悪口を言っているとき、こんなことを言いました。
「世の中なめてる!人生なめてるんだよ!!!」
まるで、社会のすべてを知り尽くしているような口ぶりでした。
私に言わせれば、その人は「いのちをなめてる」と思います。
愚痴と悪口で人生を満たして、世の中をわかったふりをして、まるで他に手立てがないと言わんばかりに、好きでもない仕事を続ける。
自分の人生がいつか終わることを、知っているはずなのに。
とはいえ今の私は実家暮らし。
あまり偉そうなことは言えません。自分の収入だけで生活しているわけではないですからね。
でも、だからって、苦しみをないがしろにしていい理由にはなりません。
本心を無視していい理由になんてなりません。
「自分にとって何が苦痛か」を認めることは、自分と向き合う最初のステップです。
↓私にとっての苦痛は以下の通りです↓。
・時間を縛られていること
・嫌いな人と一日過ごすこと
・工場独特の機械音
・狭い更衣室
・8時間労働
・自分の時間と体力を「犠牲にする」という感覚
・嫌いな作業にエネルギーを注ぐこと
・表面的な人間関係
・人に囲まれていること
その苦しみを認め、苦しんでいる事実を許せば、自分がどうありたいかが見えてきます。
そして、自分本来のありかたを無視するということは、自分のいのちを踏みにじることと同じだ、ということを自覚していくことが大切です。
とはいえ、私はまだそのことに気づいたばかり。
家事のほとんどが素人で、部屋は散らかしっぱなし、ものは溜まりっぱなし。
イライラしやすいし、すぐ怠けたがるし、人付き合いは苦手。
しかし、そんな自分を責めず、「喜び」へと引っ張っていく。いいものに変換していく。そうして、少しずつ成長する。当ブログはその成長日記です。
この日記が誰かの励みになることを祈って。
喜びよこんにちわ!